なんでそこまで勉強するの?

と良くきかれます。
例えば、私が行っているIKUSEIKAIはある放送局の事業なので

  1. 修了したら何かの番組に出られるのか?→制度は特に存在しません。
  2. 演奏家として活躍するのか?→そんな器じゃありません。
  3. 教えるのか?→何らかの形で携わりたい気持ちはあるけれど、教えるということとは違うイメージ。
  4. どんな資格が取れるのか?→資格取得を目的にしたものではありません。

結局、そんなにお金も時間もかけて、しかも辛い思いなんかしちゃったりして、どんないいことあんの?ってことでしょうね。
さて、なぜでしょう?
「ズバリ自己満足のため。自分なりの達成感を得たいということ」と答えてきた。
それも本当だけど、実は、自分に取り柄がないからというのが一番大きい理由のような気がしてる。
でも、世間的(業界に関係ない人)には「良くわかんないけど○○って冠(放送局名ね)がついてるからすごいのかも」って程度なんだけどね。
若いときには考えもしなかったなあ。
バリバリ仕事をしてお金を稼いでいるわけでもない、子どもをバンバン産んで子育てしているわけでもない。
自慢できる資格も学歴もないし、頭も良くないし、ルックスだって10人並(そういうふうに見えるよう気をつけている程度だけど)だし、スゴイ肩書きを持つ家族もいない。
もちろんそのことを恥じているわけではないけれど、ごくプライベートな次元で、そういう部分が伴っていないと、人としての本質的な部分にまで目を向けてもらえなかったという経験が影響しているのだと思う。
引け目というか、そんな感じの。
そういう感情を抱えつつも、家族が自分をわかってくれてると思えば全然平気なんだけど、時たま、どうしようもなく悲しくなったりすることもあったり。
で、話をもとに戻して、なぜ箏なのさ、邦楽なのさ、って部分は、たまたまやっていたのがこれってだけで取り立てて理由がないのがイタイ。
でも断続的でも続けてきたという事実と、腕が上がればうれしいという気持ち、だったら知識も身につけたい……という程度なんだけどね。
何となくもやもやと考えていたので、すっきりするかと思って書いてみました。

これから、実家に行ってきます。
秋田から母が持参した海の幸を堪能できるらしいので、またアップしますね。
そういえば、秋田からのお魚のあるときはたいがい、ダンナさんは出張だなあ。。